向き合い方についての話

メモ用兼日記です。

 

 

錯覚かあ。そうだよなあ。インターネットのオタクに真実は見えないからなあ。
まあ、その表の人間性が好きなんだけど、別に表だと分かってても好きなんだけどね。

>嫌いな要素が出たら「推しだからこそ、直してほしいな」とかぬかすのだ!
これは無いと思ったけど、髪色忖度事件があったからあんまり人のことを言えないなと思った。

 

確かに。そう考えれば声優はマシかと納得してしまった。

 

裏()に物事を想像しても、根拠はどこにもないし、神経を擦り減らすだけ。

 

これはあまりにもド直球すぎた。悲しい。反論が全く思いつかない。
2次元にハマる陰キャオタクって基本これだと思ってるわ。

 

このブログを始めた理由もこれだしな。結局承認欲求には勝てなかったということだ。

でもこのアライさんが語っているように、商品として消費される立場になった人は、大多数に迎合しないといけないからかなり辛そうだよなあ… 意図しない意味に曲解されたりとか意図しないところでバズったりとか普通にありそう。

「承認欲求で始めたのに、ありのままの自分を受け入れてくれる人はほとんどおらず、孤独であることに変わりはない。大多数に媚びる術を身に付けてチヤホヤはされるようになったから承認欲求はなんだかんだ満たされて…でも孤独は変わらないままだった」とか、割とよくある話なのかな?

だから、“人間に愛されることも、人間を愛することもできないのだ”かもしれない。

 

youtu.be

そういうことを考えながら、これを読みたい。

「たとえ…小学校から高校生が闇の時代であったとしても、
そして、大学に行っても決して幸せにはなれないという現実を知ったとしても、
そしてなお社会人になっても、周りからの大いなるプレッシャー、そして生活環境の乱れ、メンタルとの戦い、こういうことを乗り越えてなおかつ1人でいることの解放感を感じる。
誰かに頼らず1人で生きていくということがすばらしいと、かつて幼少期だったころには感じなかったまた違う孤独が…われわれを襲うのであります。
それがですね。つまり、一人で生きていく…こと。

#ドン勝」

 

引用: https://www.youtube.com/watch?v=5iaAkvxNgrA