Poppin'ハロウィンパレード♪感想や考察「非日常は日常?」

今回は対バンライブイベント「Poppin'ハロウィンパレード♪」の感想を書いていきたいと思います。

ポピパの久しぶりの箱イベで、待ちに待ったイベントストーリーでした!
5人の関係性が徐々に変化しており、これからの展開が楽しみになる、そんなイベントストーリーだったと思います。

そんな重要度の高そうなこのイベントストーリーを振り返ります。

 

 

 

あらすじ

季節は秋、ハロウィンです。香澄は有咲にハロウィンの仮装を提案しますが、断られます。一方、3人は商店街でハロウィンの飾り付けをしてノリノリになっています。有咲は4人に流されるようにしてハロウィンイベントに参加することになります。

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有咲に配慮のある香澄
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あっさり梯子を外される有咲かわいい

 

ハロウィンイベント当日、5人は思い思いの仮装をします。有咲が一番気合い入ってるってツッコまれてるのが面白かったですよね。やると決めたらちゃんとしっかり準備するところが有咲らしくてかわいいです。

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ここの沙綾かわいい

みんなで記念撮影!

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“魔法が解ける前に”というのはキーワードになりそうですね。

 

仮装をして練り歩くだけでどんどんと楽しくなっていくポピパの5人。

盛り上がりの最高潮では……

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ここで今回のイベントストーリーで重要な単語、「非日常」が出ました。今まで沙綾は有咲と同じようにポピパのブレーキ役を担っていましたが、今回のイベントストーリーでは率先して楽しむ行動が目立ちましたよね。有咲はそれを“非日常の力”によるものと捉えているようです。

 

香澄は隠れていた明日香と六花を見つけ出します。

そんな2人も混ざってもう一度記念撮影!

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イベントも終盤、それぞれが今回のイベントを分析します。

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非日常を体験した5人、しかしその内容はいつもと大して変わらなかったようです。それでもいつも以上に楽しめた5人、それは“非日常の力”によるものかもしれません。

 

ここで5人は重要なことを忘れていました。
パレードの最後にはステージでパフォーマンスをする必要があったのです。

沙綾以外の4人が慌てる中、沙綾は冷静なようです。

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非日常のイベントを満喫した5人ですが、本当に大切なものは日常だったようです。非日常の先で、5人はありのままのポピパを曝け出すことを選択しました。

 

感想や考察など

今回のイベントストーリーは“非日常の力”によって5人(主に沙綾)を変えることに成功しました。しかし、変わらずあるのは5人にとっての大切な日常です。ではイベントストーリーが語りたかったテーマとは何だろうか?今回はそこに焦点を当てたいと思います。

 

まず重要な指摘に、イベント楽曲「Hello! Wink!」の歌詞から、ハロウィンを通して、夢や希望を語ることができるのではないか、ということです。それも“新しいキミになれ”とまで言っていることから、ハロウィンはポピパにとって変革の兆しになり得るのでは?という観点です。

非日常

日常的ではないこと、特に、通常の日常生活では体験できないような場面や状況、または経験などのことを幅広く指す言い回し。

引用: https://www.weblio.jp/content/%E9%9D%9E%E6%97%A5%E5%B8%B8

夢や希望というものは、今の自分には無い、なりたいものやこうであったらいいのにな、というものが必要ですから、今の自分を「内部」とするならば、夢や希望は内側に対する外側、つまり「外部」と捉えることができます。つまり、夢や希望を語るためには「外部」が必要です。

日常は今の自分の生活なので「内部」と捉えると、非日常は内側に対する外側、つまり「外部」と捉えられます。ハロウィンは「外部」、つまり夢や希望になり得るということです。

 

今回のイベントストーリーは、一見すると、ハロウィンという外部を導入することで、ポピパの夢や希望を語ろうとしたと説明することができます。

しかし、本当にその解釈で良いのでしょうか?

 

もし、ハロウィンが夢や希望であるなら、ハロウィンの目的についての共感が少なくとも必要ではないかと私は考えます。イベントストーリーにおいてもりみが、“ハロウィンっていうのは、もともとご先祖さまの霊を迎えるイベント”だと説明しており、こうした側面がもっと強調されても良かったと思います。

でも、そうではなかった。ハロウィンという仮装を通してポピパが行ったことは、ポピパの日常を楽しむことでした。*1

 

この事実から言えることは何か?それはハロウィンは夢や希望ではなく、夢や希望を語るための「きっかけ」に過ぎなかったということです。

 

ここで「ディズニーランド化する社会で希望はいかに語りうるか 長谷川一」を引用し、希望を語るために日常をどう定義するかを確認します。

日常こそが、ディズニーランド化する今日の社会における最大にして唯一の戦場である。近代とは、現在を過去から差異化する<いま>において成立するものであった。そして、そのような<いま>によって満たされた時間としての現在性には、あらゆる「過去」がその一点に凝縮している。同時にそれは、多様に可能的なさまざまな「現在」へとひらかれている契機を潜勢させてもいる。そのとき必要なのは、「いま-ここ」にはない特定の「現在」を理念的外部-希望-としてひとびとを導こうとすることではない。潜勢している可能性な「現在」をいかにして現働化させてゆくか、その手立てを探ることである。

引用: ディズニーランド化する社会で希望はいかに語りうるか P244-245 長谷川一

先程、日常を「今の自分の生活」として内部と捉えました。この本は、日常を漠然とそう捉えるのではなく、もっと謙虚な姿勢でもって考えていこう、ということでしょう。

つまり、日常というのは、本来さまざまな可能性を秘めている。しかし、私たちはその可能性を拾えきれているとはいえない。そのこぼれ落とした可能性を何とかして拾いたい。その可能性を探っていきたいということです。

 

希望は外部が必要と説明しました。その外部は、外から安易に導入するだけでは不十分である、日常という内部には、私たちが拾い残した可能性の原石が眠っていて、その原石に真摯に向き合っていけば、そこから今の私たちにはない外部、希望が出現するのではないか?という考え方です。この考え方に従うことで、内部の中から外部が現れてくるのではないか?といえます。

 

この考え方を利用するために、ハロウィンを非日常ではなく日常と再定義します。

 

分かりやすい例で説明しましょう。ポピパオタクである私は、ライブイベントに足を運びます。ライブイベントは年に数回しかありませんから、日常ではなく非日常と一般的には考えます。しかし、ポピパは趣味であり、このブログを年単位に執筆するくらいには日常です。そこで、趣味に充てる時間を日常の一部と捉えるならば、ライブイベントに足を運ぶ時間は趣味の時間の一部であり、日常です。つまりライブイベントは頻度の低い日常として、つまり「日常ではない日常」として捉えることができるということです。

 

ハロウィンは年に1回のイベントです。頻度で考えれば非日常です。しかし、ポピパとして生活する一部としてハロウィンを捉え直せば、ハロウィンを「日常ではない日常」として定義することができます。こうしてハロウィンを日常と定義することで、先述の引用した概念が使えます。

 

ポピパの日常とは、5人で行動するいま・ここの時間でしょう。しかし、ポピパはその日常の可能性を満足に拾い集めているとはいえない。その拾い残した原石をなんとかして拾い上げるために“キラキラドキドキ”という掛け声が必要だし、“星の鼓動”はいつだって5人の中に存在している。

誕生日祝いのサプライズやハロウィンは、そうした可能性の原石、普段隠れていて知ることのなかった日常に焦点を当てるための「きっかけ」として、「日常ではない日常」はポピパの日常には必要だと思います。

 

特に沙綾は、ハロウィンを通して、ポピパの時間を満喫した。それはハロウィンだからではなく、「日常ではない日常」だから日常の大切さが伝わった。普段忘れていた大切な可能性です。潜在的な現在を見落とさないように“キラキラドキドキ”はポピパに必要なのです

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“キラキラドキドキ”≒“潜在的な現在”?

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そうして手に入れた“キラキラドキドキ”によって、初めて夢や希望が語ることができるし、そこから新しい自分へと変化することができるのだと思います。

 

結論

  • ハロウィンは非日常ではなく、「日常ではない日常」
  • 日常はさまざまな可能性を秘めていて、ポピパはそれを一つ一つ丁寧に拾い集める旅“キラキラドキドキ”をしている
  • ハロウィンは“キラキラドキドキ”のきっかけで、これにより夢や希望が手に入る
  • 夢や希望を手に入れて初めて、新しい自分へと変わるチャンスが訪れる 

 

おまけ

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「動物に懐かれない」属性がマジで闇深くてすき

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ここのカタルシスがヤバい

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「日常ではない日常」は沙綾の属性まで変化させるか?

 

 

 

*1:このように目的や手段のためではなく、行動そのものを楽しむことは「遊戯」と考えることができる。「ディズニーランド化する社会で希望はいかに語りうるか 長谷川一」では、《テクノロジーの遊戯》と定義している。