今週は考察と解釈の違いについて理解した話をしていきたい。
理解への興味の話から
ある日、とあるインタビュー記事を読んでいたら、理解することについて話題にあげられていた。
私は「わかる」ことに興味が無い。
目の前で何かが起こったときに、それがどういうものかわかるより、自分にどんな感覚を与えてくれるのかが大事なんだ、と。
この話を読んだ時、なるほど!と納得したと同時に「解釈すること」について理解が深まった。なぜ解釈することについて理解が深まったのか、今回はそんなお話をしていきたい。
事実と考察、解釈の違い
これはあくまで自分の意見に過ぎないのだが、「事実」「考察」「解釈」の3つはそれぞれ別物であり、以下のものと考えている。
事実は、ある観測を行った際の定量的な値。
考察は、事実に基づいて客観的に判断できるもの。
解釈は、事実や考察からどう受け取るか、あるいはどう感じるか。
3つの言葉は、しばしば相互に関係しあうため、この3つの認識の齟齬によってコミュニケーション不能になるケースがあるのではないかと感じている。具体的なケースを見ていきたい。
具体例: マスク
感染症対策としてのマスクには、主に不織布マスクとウレタンマスクがある。この2つは論争の対象になることがある。
豊橋技科大の研究から、マスクはウイルスを遮断する効果があるものの、不織布マスクはウレタンマスクよりもウイルスをカットする効果があることが事実として明らかになっている。
事実を基にすれば、「マスクは感染症対策に効果がある」「不織布マスクはウレタンマスクより効果がある」といえる。これが考察だ。
しかし、解釈は異なる。なぜなら、事実や考察を踏まえてどう感じ、どう行動するかが解釈に当たるからだ。
「不織布マスクはウレタンマスクより効果がある」という考察を重視して不織布マスクを選択する解釈の自由もあるし、「マスクは感染症対策に効果がある」ことを重視してウレタンマスクを選択することもまた解釈の自由である。解釈には多様性があって、人が何を重視するかによって多様な価値観が存在するのだと思う。
東浩紀さんの言葉を借りれば、科学は「反復可能な知」の探究である。自己流の言葉を使えば、事実と考察を行う学問であり、解釈を与える学問ではない。つまり、「事実と事実から言えることはこうなりました、後は自分たちで考えてください」
逆に「文系」と呼ばれる学問(特に政治)は、「反復不可能な知」であり、主に解釈をする学問である。つまり、「○○についてどうしようか。○○は今△△である。これを踏まえて○○はどうしていくべきだろう」
コロナの感染症対策は、科学的知見に基づいて政策を決定することになり、この考察と解釈の違いによる混乱が見られたといえる。
結論
件のインタビューは、要約すると「事実を(それが自分にどんな感覚を与えてくれるのか)解釈することに興味があり、考察することには興味が無い」という話だ。考察と解釈の違いを整理する機会となり、面白いお話だった。次回はこれを踏まえて、理解させるとはどういうことかについて書くつもりである。