最近少しずつ見えてきた、ささやかな希望を語ってみたい。私の人生設計について。
人生を設計する
前回まで理想と現実について語ってきた。
「何でもっと解釈可能な社会にならないんだ」という憤りを感じながら、私は生きてきた。けれども、それは私の誤解であった。
自分たちが生きている社会をまず理解し、社会の中でどのように自分が解釈して生きるのか、という態度でやっていく必要があったんだと思う。つまり社会の論理から外れないように生きつつも、自分のやりたいことを叶えていくということである。
じゃあどうやって自分のやりたいことを叶えていこう? 人生設計を具体的に実践するために、今回真面目に考えてみた。
論点は3点ある。①自分のやりたいこととは何か、②それをどのように叶えていくか、③必要なことは何か、という3点である。
自分のやりたいこと
自分のやりたいことって何? 人生に目的なんか無いのだろう。しかし、目的なくして生きるというのもまた難しい。
目的が無ければ目的を創作すればいいじゃないか、虚構の目的に踊るのもまた人生じゃないか、と最近は考えている。
私が創作できる目的は何だろうと考えた時、パっと浮かんだのが趣味だった。私の人生に彩りを与えてくれる趣味。私の人生の方向性を指し示してくれた趣味。思想や考え方、希望etc……空っぽの私に、本当に色を与えてくれたのである。
ポピパは私に思想や希望を与えてくれる。大きな物語が消失した現代社会においても、生きる道標を指し示してくれる。
推し活は私に生き方を教えてくれた。ネガティブで内向的な人間が、社会を頑張ってやっていく方法を授けてくれた。
社会を軽やかにサバイブしながら愛を与えたい。これが私に残ったやりたいこと。
どのように叶えていくか
荒野を生きる私にはレールが欲しい。その時に必要なのが、物語という考え方だった。
ここでいう物語とは、結末に向かって進んでいく文脈であると考えてほしい。たとえ他人と目的(≒ゴール)が同じだったとしても、結末に進む文脈(≒道)は人それぞれだと思う。自分が自分である意味は、この文脈をどのように解釈するか、という物語で考えたい。
私の長所は、感情とは離れたところで理性的に分析し振る舞えることだと思う。しかし相手の感情とは離れたところで理性的に分析し振る舞ってしまうことが私の短所なんだと思う。それによって私は他人を傷つけたし、他人を思いやることが困難になってしまった。
ここで発想を転換して感情と向き合うために理屈を使うことを考えたい。そうすると、私のやりたい事が趣味の中にあることが分かった。ポピパや推し活は、自分の感情に論理をつける作業だったように思う。
そして、趣味で見つけた「社会を軽やかにサバイブしながら愛を与えること」を目指して生きていきたい。
こんな感じで、私の人生を解釈してみた。過去の自分を否定せず、オタク活動に勤しむ現在の私を受け入れ、未来への希望に対して筋道が通る。これが物語の凄さだ……
過去から現在の人生に文脈を与え、その延長線上にレールを敷くこと。これが私の思う方法論。
必要なこと
目的を叶えるために具体的にしたいことを書いていく。社会を軽やかにサバイブしながら愛を与えるには何が必要か? 結婚と仕事の両立が、私の直近の目標である。力(≒スキル)をつけることで自分の居場所を作っていった、推しの生き方を参考にしている。
結婚……これは自分の居場所にあたる。自分の思想を理解してくれる方と出会い、思想を体現できる空間を作る。
仕事……これは力にあたる。会社で働くスキルと技術を磨き、社会に貢献する。
これら2つを統合して、「社会を軽やかにサバイブしながら愛を与えること」を実践したい。目的を叶えるために必要なこと。
まとめ
人生の目的を創作し、道筋を解釈する。そして目的を叶えるために必要なことをまとめてみた。
どうだろう…… 結構恥ずかしいこと書いてるなあ(>_<)とは自覚してるが、何か参考になることがあれば嬉しい。
人生設計について真面目に考えてきて、ようやく形になってきた。まだまだ先は長い。頑張って生きようと思う。