社会に抗う【週間日記 #29】

タイトルの通りなんですけど。

「社会を覆うどうしようもない閉塞感」を「乗り越えて」生きていきたい。そんな気持ちが日に日に増していく今日この頃です。

 

現状認識

社会は今を最大化してきた

2021年。昔と比べて遥かに生きやすくなったと思う。インターネットで世界中繋がることができるようになったし、おひとり様でも生きやすくなったし、昭和の慣習に縛られることも減ってきた。個々の価値観が尊重される社会へと生まれ変わってきた。昔に戻りたくないと強く願うほど、今の生活は生きやすい。

 

閉塞感

一方で、私は強い閉塞感を感じている。端的に言えば、将来のビジョンが無いからである。

 

「失われた30年」という言葉を耳にする機会は多い。耳にする機会だけは多いが、あまり真剣に考えられていないんじゃないかと思う。この国をどこに導きたいのか、そのためには何が必要か、等の観点が問われることはほとんどない。(局所的には考えられていると思うが、大衆的には降りてきていない) ビジョンを考えるのを止めてしまったのだろう。ビジョンが無いということは希望が無いということとほぼ同義である。

 

生きやすさと閉塞感を繋ぐ

今が生きやすいのに、なぜ閉塞感を感じるのか?その答えが『絶望の国の幸福な若者たち』にあった。

 

今の若者は、昔の若者と比べて現在の生活を幸福と感じているらしい。なぜ若者が幸福と感じているのか。『絶望の国の幸福な若者たち』では、若者が「これ以上社会が良くならない」と感じているからであると分析する。「将来に希望が持てないから、今が一番幸せと感じる」のである。

 

わかる。全くその通りだと思う。将来が不安だし、かと言ってマクロな社会で何かが変わるという期待感もない。重苦しい閉塞感を抱いて生きているのに、今が一番幸せ。一見、矛盾するような感情が端的に言語化されていた。

 

乗り越える(ミクロな視点から)

活躍する方に共通するもの

とはいえ、である。「マクロな社会には期待できませんね⇒じゃあ私の人生もお釈迦ポン!」←こうはならないでしょう、という話をしたい。

 

世の中には本当に色んな方がいらっしゃる。フィギュアの羽生選手とか、野球の大谷選手とか、推しとか。世界観を共有する方と同じ世界を生きながらも、活躍する若者がいらっしゃる。私はそこに希望を感じる。

 

彼ら・彼女らに共通するのは、自分の人生を生きることができているんだと思う。堅牢な自己が確立していれば、社会に関係なく、自分の生き方ができるんじゃないか。

 

目的の有無で生き方を分けてみる

自分の人生を生きるにはどうしたらよいのだろう。私は、目的の有無と言う視点で切り分けて考えてみたい。

 

目的を持っている人は、目的のために生きるのが幸せだろう。なりたい自分になるために毎日の生活を豊かにする、そうすればなりたい自分に近づける。

目的の無い人は、なりたい方向性を妄想するのが良いと思う。私はこちらだ。明確な目的なんて作りようがないと思ってる。だから方向性で考える。“きっと○○の方向性で考えて行けば将来に希望が持てるのではないか?”

 

無敵

逆に怖いのが、「なりたい方向性」すら無い時だと思っている。人生に絶望していた頃、私に足りなかったのは、「なりたい自分への想像力」だった。将来に希望が無いし、自分の方向性もないから、何でも良いと思っていた。本当にどうでもよいと思っていた。多分、これが無敵の人の正体だと考えている。

 

私は無敵の人が怖い。理解できないから怖いのではなく、理解できてしまうから怖いのだ。怖い、怖い、怖い。停滞は死である。努力しようとすら思えなくなったら本当に終わりだなと恐怖している。だから私は「なりたい自分」という希望に縋って生きて行く。

 

過去から今への自分を信頼する

自分の人生に実感を持つには、過去の自分との比較の積み重ねだと思う。過去にできなかったことが今できるようになった。これを一つずつ積み重ねていくことで、自己肯定感を高めていくしかない。相手との比較はそれからだ。努力し、過去の自分と比較してできたことを増やして自信を高める。毎日の生活を丁寧に生きて行く。

 

 

まとめ

うーうーう。辛い。本当に辛い。しんどい。あーーーーー。

でも頑張る。停滞は死。頑張りたいよ~~~。