社会適応【#週間日記 37】

シロクマ先生の記事を読んで、「社会適応」について感じたことをブログに起こした。

 

社会適応の重要性 ~生きづらさを契機として~

p-shirokuma.hatenadiary.com

インターネットでは、しばしば「男性の生きづらさ」について話題になることがある。

先生は、「一人の男性として、男性には語れない言葉がある」とし、「発言できない理由は、もしそれを発言しようものならば、私の立場がはっきり悪くなるからだ」とお話しされている。

(「男性の生きづらさ」についてご興味のある方は、言及元である以下の記事を読まれることをお勧めします。本ブログは「社会適応」がテーマのため、割愛します)

II-3 男性にも「ことば」が必要だ – 晶文社スクラップブック

 

文章はさらに展開され、(男女問わず)現代人は、抑圧の壁に面従腹背の姿勢をとりながらこの壁を利用し、この壁に利用されながら一番うまいことやって行く道を模索している。「分かり合えないし、分かり合わない」ということが大人世界の適用を読解する際のひとつの前提である、と。

 

なるほど!と膝を叩いた。一連の議論を眺めて、インターネット上でこの問題が解決するような建設的な議論が起こるとは思えない。それならば、現代社会を生きる私たちは「男性の生きづらさ」の問題を「社会適応」の問題として解釈するのが幸福への近道だと私は思う。この方法は「男性の生きづらさ」の問題を正面から解決するわけではない。しかしWikipediaによれば、フェミニズムが生まれ浸透するのに約100年の歳月を要しているように*1男性学の浸透にも一世紀程度の時間が必要だと思われる。男性学には来世に期待したい。

一方で、個人には差し迫った日常の問題がある。この問題を解決する糸口として、社会適応を考えたくなった。本記事では、生きづらさの問題に限らず、日常で出くわす様々な価値観の問題を、適応の観点から考え直す。

 

価値観の矯正は楽しい

価値観の多様性が重要だと人々は語る。しかし、社会で浸透していない価値観に基づいた発言をすることで自分の立場が脅かされるのなら、最初から「ことば」を発する意味など無かったのだった。言葉は繋ぐためにあると私は思っていて、他者と繋がれない言葉を発露してもあまり意味がないように思われる。

現代社会プレイヤーなら、社会で語っても迫害されない適切な言葉を蓄積させることは重要だし、時にはペナルティになりかねない言葉をそうでない言葉に置き換えてまで何かを語る必要が生じるだろう。持てる技術を総動員して社会に適応し、社会に認められるのであれば、おそらくそのほうが個人にとって幸せである。

 

私個人の話でいえば、社会に不適応なつぶやきによって、フォロワーさんとのディスコミュニケーションを何度も起こしてきた苦い経験が蘇る。客観的事実を重視するあまり、相手の感情を無視してしまった一例である。

例えば、当時ガルパ3バンドがポピロゼと比べてアニメ化されないことに怒っていたフォロワーさんに対して、オタクである私はついつい「バニメだから仕方ないですよねえ……そもそもバンドリとはキャラクターと(ryであってその二次元の部分がバニメなので、ライブしないバンドを取り上げる必要性がB社には無いし、ガルパ3バンドはC社の持ち物なんですよねえ……C社にアニメ化してもらうようお願いしてみるのはどうですか……?」とオタク特有の早口で投げかけてしまう…… しかし、「わかります。アニメ化してほしいですよねえ」と素直に相槌を打つ方が、社会的には正しい。

 

この言葉の置き換えは私にとって不誠実な態度なのだが、誰かにとって誠実な態度である以上、言葉を翻訳する技術が各人に求められるし、それが大多数の価値観の総意であればなおさらだ。 私は、何かを主張するときはその力学を理解し力学に沿った主張するべきだと考えがちだが、そういう価値観そのものが他者を傷つけるのだから、少しずつ修正している。

 

そうして自分の価値観を矯正し身奇麗になっていくことに面白みを感じる自分がいる。 というのも、私が普段感じていることを無加工で出してしまうと、何の因果か他人と価値観が合わなくなってしまう私にとって、他者との違いを受け価値観を矯正することで積極的に意思疎通を図った方が「楽しかった」。 この「楽しかった」という経験によって、私の価値観は認められることはなく、価値観は緩やかに死へ向かうが、一方でこの経験によって社会が生きやすくなることに喜びを感じている。

 

有利な生活を営むには

価値観の矯正を通して明らかになったのは、常識とは他人とのコミュニケーションツールであるということだ。常識という抑圧は、誰に対しても抑圧の壁だから、コミュニケーションのきっかけになり得る。価値観を共有していない他者であっても、常識なら通じることができる。つまり、常識をハブにして他者の価値観にアクセスすることが可能なのだ。

他者の価値観と共感すればするほど、先回りして有利な生活を営むことができる。現代社会プレイヤーとして、抑圧の壁を利用する技術は必須技術になっていくことが予想される。これからもコミュニケーションについて、よく考えていきたい。

 

まとめ

現代社会では、多様な価値観が認められているようにみえる。しかし、社会の文脈に沿わない価値観に基づいた発言をすることで自分の立場が脅かされることがある。だから社会適応という技術が必要である。

社会適応は、抑圧の壁を利用することである。これは、マナーであったりルールであったり価値観であったりする。自分の価値観を保つことによるデメリットが重いなら、社会適応を考えるべきである。それはオリジナルの価値観の死であるが、価値観の矯正は同時に面白さでもある。

価値観の矯正を繰り返すことで、他者とのコミュニケーションがしやすくなる。常識はコミュニケーションツールであり、他者の価値観との共感を通して、現代社会を有利に進めることができるだろう。