こんばんは!Soitanです。
はてなで話題になっててちょっと思うところがあったので、ブログに残します。
元ネタ
「趣味を楽しむのが全て」という価値観の押し付けをやめて!とオタクに訴えながら、自身も“幸せの本流というものは、経済的に独立し次世代の子を育て、社会に仕事という形で貢献することではないだろうか。”, “社会の一員として、私達は、ある程度「幸福」の価値観を共有していなければならない。”と価値観の強要をしていて、それブーメラン刺さってますよ、というお話でした。
増田に対する感想はこれくらいなんですけど、自分も似たようなことをしてきた自覚があるので、あんまり強く言えないんですよね…、今回はそんな反省も兼ねて、考えていることをまとめます。
本題の前に
本題に入る前に自分の価値観を話すんですが、私は答えのないものと正しさっていうのはどちらも存在してると思ってるんですよ。
答えのないものっていうのは例えば生き方とかで。一人一人違う人生を歩めばいいじゃないですか。なぜなら正しさはないからです。(正義とか宗教とかはあるかもしれないですが)
でも1+1=2です。これは正しさです。1+1はいつでも2だし、みんな2だと思ってるし、3になることはないです。
世の中には、答えのないものと正しさのあるものが両方存在していて、どちらかに偏ってしまうとバランスが悪い。
例えば、答えのないものを正しさと誤解してしまえば、それこそ価値観の強要になるし、正義の押し付けになるし、誰も幸せにならない。一方、正しさを答えのないものと誤解してしまうと、あなたは妄想の世界の住人ですか?という話になってしまう。
本題
で、本題なんですけど、私はポピパのストーリーの考察をしたかったんです。つまり、ストーリーで何を主張していて、何を伝えたかったのかを知りたい、という純粋な知的好奇心です。
一方、オタクというのは解釈する生き物で、私はそこと衝突してしまった。
私だって、例えば沙綾が○○するところが見たい、とか平気で発言するし、「White afternoonはさーかす」とか今でも思ってたりする。
でも、それはそれ、これはこれで、考察をしたかったんですよね。
つまり、1期では何が変わって何を伝えたかったのか、2期では何が課題でどう解決したのか、3期では何が変わってどう成長したのか、そしてそれぞれでアニメ(キャラクター)がどうリアルライブとリンクするように作られているのか、とか。(だってバンドリってキャラクターとリアルライブがリンクする次世代ガールズバンドプロジェクトですからね、みんなすぐ忘れるけど)
で、自分ひとりでは力不足なんで、みんなの力を借りて、一つの完成系みたいなのができれば十分だよね、なんて思ってたんです。
結局、これが価値観の押し付けだったという、そういうオチです。
色々、迷惑をかけてしまって……もう以前の様には戻らないとは思いますが、高い勉強代だったと思って、オタク仲間の関係性を初心に戻って一歩ずつ作っていきたいな、と考えているところです。
余談
また、私のツイートによってどこかで誰かが不快にならないように、あの時私が何を考えていたのかという一例を話します。
※閲覧注意です
※閲覧注意です
この件に関して話題に触れることはあってもツイートで主張することは多分無いので、こいつはこんなこと考えてるんだな、と温かい気持ちで読んで頂けると幸いです。
予防線をしっかり張ったので、早速行きます。
あの件に関しては今でも納得いかなかったんですよね。
色々と矛盾してる根拠とかが提示されてたと思うんですけど、自分には全く矛盾してるようには見えなかった。私の日本語能力がおかしいのかと疑った笑
「あはは、そんな大げさなことではないけど。
まあ、子供の相手は慣れてるから。
昔から近所の年下の子と遊んだりしてると、
自然と面倒を見る係になってたからねー」
これは弟の非存在を証明しているのではなく、「面倒見の良さ」がご近所さんとの関係で培われてることを示しているだけですし。
「うーん、おねーちゃんって大変なんだねえ」
これは、弟の非存在を証明しているのではなく、お姉ちゃんって大変なんだねえと思っているだけです。
むしろ、弟というのは迷惑をかける存在で、お姉ちゃんというのは弟の面倒を当然見ないといけない、だから面倒見の良さが近所の子供たちで培われてお姉ちゃんの大変さを知らないのは矛盾、と考える方が価値観の押し付けだし差別意識を感じます。
当たり前ですが、手のかからない弟だったら、自分が姉だとしても大変だと感じなくていいわけです。そもそも家族なので面倒を見るという概念が無い可能性だってある。家庭環境は人それぞれですから。
とまあ色々書きましたが、もう揉め事を起こしたくないし価値観の強要はしたくないので、これはここに供養しておきます。