インターネットから現実へ【週間日記 #35】

嫌よ嫌よも好きのうち。リアル社会に希望を持ち始めた話をする。

 

匿名掲示板やSNSに代表される、リアルの倫理やマナーに縛られない自由な空間、私がずっと期待している『インターネット』のイメージだ。私は『インターネット』を愛している。

自由は、多様な価値観を生んだ。Twitterのトレンドを見ると、世界の広さを痛感する。アニメやゲーム、ドラマ、テレビ番組、ニュース、野球、ポリティカルコレクトネス、etc…… 今日も日本のどこかで私の知らない話が呟かれ共有されているのだろう。ああ、価値観の多様性、なんと素晴らしいことでしょう。

 

 

けれども、私は自由な『インターネット』が持つ功罪の『罪』を想定できていなかった。「事実に基づいて語ることが価値観の一つである」という事実を理解してしまって、そんな現実に打ちのめされてしまったからだ。

 

ガルパ弟問題が典型である。(解釈には触れず、詳細は脚注に残す*1 )
ガルパ弟問題とは、ファンが解釈していたキャラクター解釈像と公式が描こうとしたキャラクター像に矛盾が生じたために、キャラクターの家族構成の設定を変更する事態となった事件である。

① 初期からの設定であるという公式の説明(事実)が無視されてしまったこと ② 炎上させていたのがストーリーに熱心なファンだったこと という2つの事実が特に私を驚かせた。「認識の違いは知識量の差であり、知識量の近いオタク同士なら価値観の違いを乗り越えられる」という幻想は崩れ去り、描写の事実を受け止め解釈をするというコンテンツの向き合い方そのものが、価値観の一つに過ぎないという現実が浮かび上がった。

 

多様性とは陰謀論を許容することであり、価値観の違いは知識の啓蒙で乗り越えられなかった。『インターネット』から撤退する時が来た。*2

 

 

 

 

 

*1:例えば、「①朝にパンを食べました。②朝にお茶を飲みました。」という2つの文章がある。①と②は矛盾してるか?と問われたら、矛盾してないのは明らかだと思う。朝にパンを食べてお茶を飲めばいいので。「私はパンには牛乳派なので、パンを食べたら牛乳しか飲まない。パンを食べてお茶を飲んでるのは矛盾」と言われれば、ひろゆきじゃないけれど、「それってあなたの感想ですよね?」となる。解釈違いなら、「私はパンには牛乳派なので、お茶を飲ませないでください」とちゃんと丁寧に公式に要望を出せばいいわけで(要望を出すことはむしろ良いこと)、「お茶を飲むのは矛盾」と炎上させたのは明確に悪だと思っている。公式に失礼。

*2:ブログはやめません。