「いのち(2024 ver.)」に見える商業アーティストとしての覚悟

 瀬名航とAZKiのタッグは毎回エモが凄いのだが、今回もまた強烈だった。

 

 私がAZKiを知ったのが、ちょうどGeoguessrでバズった頃だったので、もう新参も新参なのだが、過去の楽曲を聴いて一番驚いたのが「画面の中の君が好き」でした。

 「画面」とは言うまでもなくモニターのことであり、モニター越しにVTuberを応援する我々の様子を隠すこともなくそのまま歌う歌詞が衝撃的で、そんなメタな歌詞を歌うVTuberに魔力を感じないわけがなかった。色々と調べていくうちに、この「画面の中の君が好き」の作詞を担当したのが瀬名さんで、瀬名さんは他にも「リアルメランコリー」や「いのち」、「青い夢」などの歌詞を書いていることを知った。

 

 「リアルメランコリー」では、“「ネット社会での自分らしさ、数字、流行りや、好きなことへの葛藤・悩みに寄り添って、みんなと一緒に進んでいく」”こと*1、「いのち」では、“(AZKiの)死生観やポジティブな共依存とその強さ”*2、「青い夢」では、“企業VTuberとして商業の波を走っているAZKiさんにとって、避けては通れないお金と夢についてのお話”*3など、どれもこれも、VTuberのキラキラしたイメージを歌った楽曲ではなく、現実を直視し藻掻きながらVTuberとしての夢を叶えていくための物語を綴った唄のように聞こえた。

 

 そうした生々しい過去の想いが詰まった楽曲群が私は大好きなのだが、一方で、ルートγに到達した今のAZKiには、過去とはまた違った価値観があるのではないかと思えた。

 特に印象的なのが、メジャーデビュー後すぐに発表された『3枚目の地図』に収録されている「エンドロールは終わらない」の一節だ。

ずっと誰にも言えないこの気持ちを吐き出してしまいたい

君を傷つけてしまうよ

 

初めて夢を描いた時からもう何年経った?

気づいたらみんな居なくなっていた

僕らは出会いと別れを繰り返していく

ただ時間が過ぎて終わりが来る

 

「これでいい?」「後悔は?」

後は自分で決めるだけだ

 誰にも言えない気持ちを吐露しているのが中段の歌詞、いつの間にか誰もいなくなって終わりが来るという諦念それでも後悔したくないので自分で決めるという力強さには、かつて「青い夢」で歌った夢を本気で追い求めていく覚悟が見える。

 「いのち(2024 ver.)」も同様に、夢を本気で追い求めていく覚悟が見え、もはやポジティブな共依存とは形容できなくなってしまっている。

最後まで私を覚えていなくてもいいから

いつしんでしまうだろう わかんない わかんないよ

でも

今、君が笑えたこと それだけで意味があること

君が忘れちゃっても私は死なないから

 歌詞の中で「しぬ」と「死ぬ」を使い分けているところがあるが、「画面の中の君が好き」で、“創り物にいのちを宿す 君の輝きは本物だった”とあるので、ひらがなはバーチャルな存在(AZKi)、漢字はリアルな存在(中の人)と解釈する。ファンの中でAZKiの存在が忘れられてしまうこと(≒精神的な「し」)があっても、今、音楽で救われることに意味があるのであって、これからもAZKi(中の人)の活動(≒肉体的な「死」)は終わらないと解釈できる。

 

 このようにメジャーデビュー後に発表された楽曲には、聴いてくれるだけで嬉しいし意味はあるけれど、それだけでは活動は続いていかないという現実が痛いほど刺さってくる。α→β→γと進み、ファンとAZKiの関係性が変わってしまっても、AZKiとして発揮できる才能を生かして活動を続けていくAZKiを、それでもなお今までと変わらず応援していきたいと思った次第です。