私の知らない世界ではきっと素敵な出来事に溢れてる / ちいさい百合みぃつけた 綾奈ゆにこ

私が執着しているものは、必ずしもコンテンツそのものを指しているわけではない。

私が執着したいものが、そのコンテンツにあるだけだ。

 

声優オタク・関係性のオタクになって日は浅いですが、始めたころに比べ、様々な会話の意図が掴めるようになってきました。人は必ず正しい言葉を使うわけではないから、言外に意図を隠して使用したりする。それは他者との関係を丁寧に紐解いていこうとする精神を持って、初めて相互に理解できることなのかなと感じる。

 

私が綾奈ゆにこ先生を知ったのはバンドリですが、実はきんいろモザイクのアニメの大ファンで、そこから日常系アニメを見始めたという経緯があります。そんなところからも何か運命づけられたものがあったのかもしれません。

そんな感傷的な気分にさせてくれたのは、「ちいさい百合みぃつけた」です。このエッセイ本は、綾奈ゆにこ先生が担当された3年分のコラムをまとめたものだそうです。内容はズバリ百合で、先生が体験された百合や妄想された百合がこれでもかと詰まっています。

 

率直な感想を申し上げると、「嬉しかった」。

それは、勝手に同類認定してしまい申し訳ない気持ちもあるのですが、何気ない会話のやり取りによって関係性を見出し、その繊細な関係性に尊さを感じてしまう病を抱える、同士が存在することを感じさせてくれたからでした。

 

なかなか自分の弱さを自ら曝け出すことってできないじゃないですか。だから先生の文才によって“それ”が丸裸にされ、少し妄想が足されたものを読むたびに、本を閉じたくなるくらい恥ずかしい気持ちと、それでも先に進みたい気持ちとが入り混じってなんだか変な気分になってしまいました。

 

このエッセイ本は、妄想の回と体験の回が入り混じっているのですが、文章の甘さによって何となくどっちか分かってしまうのが面白かったですね。逆に、現実は甘くないからこそ、百合の甘い妄想をしたくなってしまうのだろうか、とも感じました。

 

私の好きな回は、「きゃっきゃうふふ」「甘えるということ」「同士百合」です。どれも先生の体験を綴ったものなのですが、先生の成し得なかったものを発見していく物語な気がして、そんな先生だからこそ、紡がれていく物語も温かな物語になっていくのだろうか、と考えたりしました。

どんなに手に入れようと願っても手に入れられないものは、“それ”を必死に掴もうとしても零れ落ちてしまう。“それ”の解像度は思考する度に洗練され、贅肉はそぎ落とされ、繊細で美しいものが出来上がっていくんですね……

 

“それ”はきっと私の知らない世界で、素敵な出来事に満ち溢れているのだろう。

 

 

いいや、私の世界でも素敵な出来事に満ち溢れていると信じたい。

“それ”を選択するのは他でもない私自身。大切なのは意志と勇気。それだけで、大抵のことは上手くいくはず。きっと。

 

 

最後に、引用して終わります。

女性アイドルを想う気持ち。今付け加えるとしたら、それは「家族愛」です。自分の身を削って応援したり、その子の人生や気持ちを想像し、怒ったり涙したりするなんて普通じゃ出来ない。家族にしか出来ない。

ちいさい百合みぃつけた 綾奈ゆにこ P72