最近、日記を書くモチベが上がっている。良いことだ。
数理モデル
“曲線のあてはめは現象記述モデルであり、人口の行動変化の影響を取り入れることの出来ない先験的な非動学的モデルである。さらにその法則を生み出すより原理的な発展方程式の探求にむかうはずである。”K値の批判 / “感染症数理モデルとCOVID-19 | 日本医師会 COVID-19有識…” https://t.co/wdYDzkuSJ6
— soitan (@lativoir381) 2021年1月17日
感染症のような題材に対しても、人間の営みを玉の移動と捉えれば、感染者数の増減を簡単な微分方程式で表せるというのは面白いなと思った。
やはり微分方程式には夢がある。「人生」の発展方程式が2階偏微分方程式くらいで定式化されればいささか生きやすくなるのに……と思ってしまった。解が求められなくても、適当に境界条件と初期値とパラメータを調整して、あとはコンピュータに計算させればよしなに計算してくれるでしょうに。
まあ、「そんなんできたら苦労しないわ」とか言われそう……
相変わらずよくわからないですね、人生。
「この先は荒野です。道がありません」じゃないんだよなあ。いいから道を定式化してくれ。多様性とか言ったって、結局“多様性*1*2*3”なんだろ? 健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会になっても、それはそれで受け入れるからさあ… いいからそのポリティカルなコレクトネスを定式化しろ。怠慢だろ。経典を出せ。経典があるなら、忠実に従え、甘えるな。
かんぺきなおんな
【朗報】愛美先生、ASMRの愛美
— soitan (@lativoir381) 2021年1月17日
愛美先生が理想の女性像すぎた(そう見えるように映画が作られているので当たり前ではあるんだけどw)。
推し活
CD購入者特典生放送
相変わらずかわいかった。座りながら歌ってたけど、上手すぎない???
普段甘えてこない癖にミラちんに構ってると嫉妬してくるふーたその姿を見て、「許されているんだな……」と言い放った、推しの日本語遣いが本当に好きです。
カラオケ(FFF_DAM)
ロングトーン綺麗すぎた…… 選曲も相変わらずで好き。
シチュエーションボイスも上手すぎるんよw 客の求めてるものを的確に納入してくる才能に溢れすぎてるんだよなあ……
こちらの推しは自己肯定感高そうで、それが逆に気持ちよかった。
もうちょっと眺めていたいですね。
作中の設定・メタ視点問題
それにしても、「作者がどうしてこの設定にしたのか」を考えることはメタ視点と捉える人が多いとわかったのは大きな知見だった。
— soitan (@lativoir381) 2021年1月19日
個人的には、作者の頭の中を考えるのも、あくまで物語で閉じていたらそれは「作中の設定」だと思ってた。(個人的なメタ視点は、ジャンプだからとか声優が○○だからとかそういう話限定)
— soitan (@lativoir381) 2021年1月19日
オタクと感想が合わない根本的な原因が解決してスッキリしてしまった話。
私は物語を「作者が自分の主張・妄想を具現化するために物語・キャラを配置している」という価値観に従っているので、作品も同じ目線で見ちゃうんだよなあ…(ドラマツルギー的な世界観)
だから物語を考察することは作者(これは人でもいいし、会社やサークル全体でもいい)の主張・妄想を考えることと近しい。よく「中村先生が」とか「B社が」とか言うのはこれのせい。
つまり、基本的にメタ視点からしか作品を鑑賞していないらしい。こういうスタンスって少数派だったのか……という知見が得られてしまった。
もし香澄が生きているとしたらどういう言動をするのか?とかを「一般的な作中の設定」として考えたことは今までなかったと思うし、そもそもそういう思考を持ち合わせていないかもしれない… (香澄は○○のキャラとして「配置」されているのだからこれこれこういう言動をするだろう、って私は普段考えてる。言語化して一歩引いた目線で見るとちょっと気持ち悪い…でも、忠実に言語化するとこれが正しい気がする)
「公式は解釈違い」と言う人を全く理解できていなかったのだが、やっと理解できた。香澄が生きているのならば、、、と考えていくのであれば、人によって香澄像が変わるだろうし衝突が起こってしまうのも想像できる。(私の場合、自分の香澄像と異なっていても「公式の香澄像が○○→△△になった」と受け止めてしまうので、衝突しない)