真人間に戻れそうかもしれない?

Soitanです。日記です。

二次創作のオタクの方には悪影響になるかもしれないので、一応閲覧注意です。

 

※追記 06/10 後半の記述を補足

  

 

前回の話↓

lativior381.hatenablog.com

 

最近、コンテンツとの向き合い方についてよく考えている。VTuberの騒動をきっかけに、2次元コンテンツは当たり前にあるわけではなく、裏方が支えているということが、意識として改めて認識せざるを得ない出来事が多かった。

その出来事を踏まえて、予め心の準備をしよう!という話だったり、そもそも問題が起きない信頼のできる運営のコンテンツに絞ろう!という自衛の話に繋がった。

 

それだけでなく、2次元コンテンツに何を期待してこんなに沼にのめり込んでいるのか?という己の裏の動機が知りたくなった。

その一つの答えが“優しさの空間を希求している”という説だった。アイドルガチ恋勢の方と同じく、商業的に優しくしてくれたのはアイドルだけだった……ように、優しさの空間を与えてくれるのは、商業的とはいえ“画面の向こうの関係性”だけだった……のだろう。(この関係性は2次と3次の文脈を含む)

 

ここまで思考を巡らせて、優しさの空間は現実に存在するのだというある種の驚きを持って迎え入れられたのである。

それはテルミンの話でもいいし、スプラトゥーンを友達と一緒にやるとこんなに楽しいんだの話でもいいし、課金総額がマンションを買えるくらいの話でもいい。*1

とにかく、社会を敵視してデビューされた方々が、活躍されていくにつれて、当初の性質はそこまで変わらないまでも横の繋がりを深めていき、なんだかんだ楽しそうでいる姿を私たちは目撃しているのである。

そしてその関係性は一夜にして出来上がったものではなく、関係性が徐々に深まっていく過程をも我々は眺めることができたのだ。だからこそ、リアリティを持って画面の前に存在する関係性に対し、私はどういう人生を歩めばいいのか?とフッと立ち止まってしまったのである。

 

自分の人生の中で、私を無条件に理解してくれる人は存在しないのでは?という絶望が新たな孤独として現れたとしても、承認欲求はその軸の中で語られる話ではなく、それとは本質的に別の形で満たされていくものなのではないか、と思わずにはいられなかった。

※追記 承認欲求を具体的にどのような形で満たしていけばいいのか、わかっていないけれども、関係性が深まっていくことは承認欲求が満たされることと同値であると思っている。

つまり、孤独の問題はまだ曖昧なままであるが、承認欲求に関してはそれを満たすことで優しさの空間は解決できるのだという希望だ。あるいは、私が2次元の逃避に費やした時間と承認欲求の大きさが等価なものだったのだという仮説だ。

※追記 私が虚構に求めていたことは、皮肉にも似たような人種である虚構側から関係性を提示されているのである。

 

これらの考えに至った瞬間、私の中で2次元に幻想を求める必要性が薄らいでしまったのである。もちろん、ポピパや声優さんが好きなのは変わらないままなのだが、あの時確かに存在した狂気のような執着は実感としてもう存在していない。これからはちょっと知識が豊富なライトなファンとして振る舞っていくのだろうなと感じている。

だから、そう思わせてくれたコンテンツには感謝しているし、他人の人生を消費させていただけるような倫理的に問題のありそうなコンテンツによって私の心は救われているのだ。これからも程々に眺めていきたい。

 

結果として、豊かな人生を歩むためには現在の可能性を広げるように振る舞うことが求められているのだろう。そのスピードがあまり速くないとしても、怠ることは悪なのではないかと考えている。一生懸命生きないといけないのは変わらないのではないだろうか。

 

 

 

*1:闇のゆいかおりが互いに惹かれたのは自然の摂理として、沖縄弾丸旅行は界隈に衝撃を与えた