週間日記 #8

今週は1件だけです。

 

 

ポピパの文脈から人生を俯瞰する

今週は久々に思考が回ったので、ポピパの文脈を通して人生を考えていく。

※ 個人的な解釈のため、エビデンスがあるわけではないです。また、人生素人のため、人生の先輩方には温かい目で読んで頂けますと幸いです。

 

アイデンティティに対する誤解

人間の発達には自我同一性達成が重要だと言われている。

アイデンティティとははっきりと言語化可能な決まりきったものであり、個々人が持つ何か一つの大きなゴールに向かって人生を進めることが、アイデンティティの確立だと思っていた。*1

だからそれを持っていない自分に不甲斐なさを感じていた。

 

以前の日記で、「何者かになりたい」問題の解消は、強い肩書きを手に入れて解消するというより、そう問う必要がなくなることによって解消されるという主張を紹介した。この解釈に自分は共感したが、よくよく考えてみれば、これってポピパのことじゃないか……?と思っている。

何者かになりたい必要がなくなるとはどういうことか、ポピパの歴史を振り返って考えてみる。

 

ポピパの歴史を振り返る

リアルバンド

バンドリは声優の楽器演奏から始まった。少なくとも3rdまでは、ポピパにとって声優がバンド活動することそのものがアイデンティティだった。

 

しかし、他バンドの登場によって状況が一変する。アイデンティティクライシスに陥り、人気もかっさらわれた。また、不幸なことにアニメも低調であった。

背水の陣で迎えた4thでの成功とその雰囲気は、同人誌が当時の歴史を記録している。

 

最近では、7thにおいてポピパらしさを携えて進化したことが記憶に新しい。直近の8thでは、先輩バンドとして後輩バンドに背中を見せる立場となっている。

つまるところ、今のポピパはアイデンティティを確立した“大人”になったのである。

 

アニメも同じ

キャラクターとリアルライブがリンクするバンドリにおいては、アニメも同じである。

 

香澄のキラキラドキドキしたいという気持ちから始まったアニメは、夢に対する漠然とした希望だった。よくわからないから、何もわからずにもがき苦しんだ。

2期ではポピパらしさに迷ってしまう場面もあったが、5人の力で解決している。3期では逆に、ポピパらしさを携えて成長したポピパが描かれていたように思う。

 

以前、1期にはやり残した課題があって、2期・2章では課題の解決が行われ、3期ではその先のポピパが描かれたと考察している。これはメタ視点で解釈したもので、香澄視点ではない。


夢を追いかけると現実に挑戦することになる。香澄のまなざしは挑戦を通して到達する姿と、ポピパらしさを獲得した“いま・ここ”に集まっている。香澄からはこう見えているのだろう。“何か”になった姿である。*2

 

これからの人生

社会の空気(要請)に乗り、がむしゃらに夢を追いかけていなければ人生をやっていけなかった若者の時代を終え、何もない荒野の中、自分の道を歩むために努力をする人生へと舵を切っていく。

自己責任で好き勝手に人生をやるということが、大人になるということだと感じている。自分の人生設計を真剣に考えるようになった。変更不能な人生を歩んでいるんだという意識が強くなってきた。

 

まとめ

ポピパのように、夢を探したいという姿勢を忘れずに前を見つめ続けていれば、自然と歩みを進められると信じている。ふと立ち止まって振り返ると、今までの軌跡が道のりとして浮かび上がってくる。未来はその道の先にぼんやりと示されてくるはずだ。

こうした地に足の着いた“夢”を僕のアイデンティティと呼ぶことにしよう。

 

 

 

 

 

*1:もちろん、あるに越したことは無い

*2:より正確にいえば、“何者か”になったのかと問う必要がなくなった姿