変化の年から創作の年へ

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

はじめましての方は、はじめまして。お世話になった方は昨年大変お世話になりました、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 この文章では、特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」ということで、 昨年の総括と今年の抱負をつらつらと書いていきたいと思います。

 

昨年は、「変化の年」となりました。

きっかけは芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』を読んだことです。推し活をする声優解釈オタクである私にとって、この小説が提示する結末が、クリティカルな問題として立ち上がってきました。もし様々な事情で「推し」がいなくなってしまった時に、私は私として生きられるのか?と、生き方を見つめ直す必要に迫られました。

 

lativior381.hatenablog.com

昨年も特別お題として記事を書いていました。

この時は明確な“答え”が見つかっていませんでしたが、『推し、燃ゆ』の続きを自分の人生でもって創造しよう、と思ったんです。

 

3月には推し活の苦しみもだいぶ言語化できる状態になり、以下の記事を書いています。

lativior381.hatenablog.com

この記事では、資本主義的に持て囃されやすい「推し活」をネガティブに捉え、「推し活」の苦しみについてフォーカスしました。とある解釈性オタクである私が推しているものは、実は推しではなく推しを解釈する「推し解釈像」ではないか、「推し解釈像」を推しているのであれば、それは「推し活」ではなかったのではないか、と初めて言語化しました。

 

この記事を投稿後、私の「推し」事への向き合い方は完全に変化しており、推しの活動を純粋に応援する一方、「推し解釈像」を重視し見つめ直す旅が始まりました。

 

8月には、私が推しの本質だと思っている曲をアコースティック形式で間近に聴くことができ、ハロウィンでは、私が沼に落ちるきっかけとなった曲を、TOの方と一緒に回収させていただき、クリスマスでは、推しの好きそうな曲を推薦することができ、(推薦楽曲の回収は叶わなかったものの、)本質楽曲をカラオケで浴びることができました。

 

一連の経験は私にとって宝物で、推し解釈像の解像度が上がると同時に、私の推し解釈が間違っていなかったのだと自分の推し事に自信を持つことができました。そして、年始から始まっていた悩み事は、(一定の自信がある)推し解釈像を手に入れ、心の神棚に祀る」ことで、一定の解決に向かったと思っています。私の心の中に神様がいらっしゃれば、例え推しが燃えたとしても問題ないわけです。「推し解釈像を心の神棚に祀る」効果は思った以上に絶大で、今年は目立った不調もなく、心身ともに健康に過ごすことができました。これから私は、この新しい神とともに生きていくのだと思います。

 

 

ガラッと話が変わりますが、今年は創作の年にしたいです。

昨年は自分のマインドの変化が大きく、創作することが少なかったので、今年は色々作りたいですね。

「夢の結唱」というボーカロイドを購入するので、何か一つカバー楽曲を作りたいですし、同人誌への寄稿が決定していますし、ブログ執筆も継続してやっていきたいです。衣食住を見直して、“丁寧なくらし”を少しずつ取り入れていきたいですね。

色々と夢が膨らんでいるので、焦らず少しずつ達成していけばいいかなと思っています。